中国茶の歴史
静岡で世界の茶業情勢勉強会
世界の茶業情勢を学ぶ勉強会が5日、静岡市駿河区内であった。講演したNPO法人「日本中国茶協会」の王亜雷理事長は中国への日本茶輸出について「売れる可能性はあるが、(日本茶などの)蒸し製緑茶は普段は飲んでいないため、売り方には工夫が必要」などと指摘した。
王理事長によると、中国では経済的に豊かになるに従って健康への関心が高まり、体に良いものを飲食したいという意識が強まっている。日本と同様に、若者は新しいものへの購買意欲が高いという。王理事長は有機栽培茶の需要も今後、高まるとの見方を示し、「日本茶も富裕層や若者に的を絞り、適した売り場を選ぶなど工夫すれば売れる可能性はある」と述べた。
中国では香りが高まりやすい釜炒(い)り緑茶が飲まれていることから、講演後、王理事長は「中国で飲み慣れている香りが高い緑茶など、より好まれやすい製法の工夫もできれば、なおいいのでは」と話した。
勉強会は世界緑茶協会などが、11月に静岡市駿河区で開く「世界お茶まつり」のプレイベントとして開いた。
大船「ルミネウィング」、1階部分をリニューアル
JR大船駅隣接のルミネウィング(鎌倉市大船1、TEL 0467-48-5000)が創業15周年を迎えるにあたり、9月7日にリニューアルオープンする。今回、新店舗として出店するのは、スーパーマーケット「成城石井Select」、茶専門店「三國屋善五郎」、生活雑貨「Francfranc(フランフラン)」の3店舗。
ルミネウィングは、「大船駅東口再開発第一ビル」と「大船駅線路上空駅ビル」から構成され、一つのショッピングセンターとして営業を展開している。今回、1階部分をリニューアルした背景には、フロアを「サービス業態」から「高品質スーパーマーケット」と「上質な生活雑貨」(同社)に業態変更することで、館の集客力とにぎわいを高め、地域一番店としてのポジションを維持することにあるという。
新店舗として出店する「成城石井Select」は、「世界の食品を世界の街角の価格で」をコンセプトに首都圏を中心に展開するスーパーマーケット。セレクト商品を中心に品ぞろえをする「Select」店は神奈川県内初出店。老舗の茶専門店「三國屋善五郎」(本社=福井県坂井市)は日本茶、紅茶、中国茶、ハーブティー、健康茶と世界の茶葉300種類を扱い、湘南エリアとしては初出店となる。
今回のリニューアルについてルミネウィング担当者は「当館の強みである『食』を中心とした質の向上を図るべく、リニューアルを実施した。増加傾向にある周辺マンション群のニューファミリー層と鎌倉エリアの生活水準の高い顧客に満足してもらえる店作りを目指す」と話している。
9月30日まで「15周年祭」として全館で謝恩キャンペーンを実施。プレゼントや福袋販売、飲食店では記念メニューの提供などのほか、リニューアルオープン当日には、先着500人にルミネウィングオリジナルエコバッグをプレゼントする。
中国の茶文化
お茶を飲むことにつて中国でも習俗がある。
中国でお茶が用いられたてきた歴史はすでに四千年あまりになる。最初は薬用として、その後おかずとして食べた。歴史の流れに従い、お茶はだんだんと中国人が好む常用の飲み物になってきた。中国では茶の人口栽培に二千余年の歴史があり、世界中でもお茶の栽培とお茶を飲みはじめたのは中国が最も早かったようだ。
唐の時代からお茶を飲むことはすでに中国人民の一種の生活習慣となっていた。その時、お茶の専門家陸羽が現れた。彼はお茶を栽培すること。お茶を加工すること、お茶を飲むことの豊富な経験をまとめて、中国で最初のお茶の本「茶経」を書き著した。これによって、後世の人々は彼を「お茶の聖人」と呼んでいる。
陸 羽(りく う、733年 - 804年)
唐の復州竟陵郡(現在の湖北省天門県)出身の茶の知識をまとめた『茶経』3巻などを著述した文筆家である。またの名を疾、字は鴻漸、季疵、号は桑苧翁と称した。他の著作に『毀茶論』、『君臣契』、『源解』、『陸文学自伝』(『茶経』以外は散逸)がある。
捨て子として3歳くらいのときに浜で競陵龍盖寺の智積禅師に拾われ陸羽と名づけられた(他からは竟陵子と呼ばれた)。至徳元年(756年)、安史の乱を避け、江南に行き、上元元年(760年)頃、現在の浙江省に住んだという。14年の茶の研究を『茶経』にまとめ10年後に建中元年(780年)に補足をつけた『茶経』3巻を著す。
中国と日本の茶文化
中国は茶の原産地で、お茶を飲むことはずっと昔から中国人の生活習慣の一種になっている。人々は毎日の仕事は七つ。それは、柴、米、油、塩、醤油、酢、お茶などから始まると言われていた。お茶は中国の日常生活の必需品の一つである。
茶文化は日本文化の重要な構成部分である。お茶はずっと昔に中国から日本に伝わった。約八百年前、栄西という日本の僧侶は数回も中国に留学し、中国における茶の栽培、茶の製造方法、茶の品評など茶に関する文化を日本に伝えた。
彼は「茶は養生の仙茶なり、延命の技術なり」と見て《喫茶養生記》という本を書いた。しかし、時間の経過、社会の発展につれて、生活環境の違いによって両国のお茶の文化もまた分岐して各々独特な発展の道を辿る結果となった。
中国茶の歴史と茶芸
中国はお茶の故郷であり、お茶が人々の口に入ったのは、世界最古とされるお茶の神様『陸羽』の著書『茶経』では、紀元前二七○○年頃までに遡ります。また、神農が茶葉を使って病気を治した。という記述も残っている。
お茶は最初は飲用として使われたのではなく、食用、薬用、祭品として用
いられていた。西漢の王褒によって記されたと、『僮約』(紀元前59年に書かれた)にある、荼が茶の前身と言われており、中国茶が一般的な飲み物になったのは、約2000年前、ということになる。
広く一般的に普及し始めたのは、唐代からで、宋代に更に盛んになり、明代で今日の基礎が出来上がったと言われている。
隋の時代には、茶を火にかけ煮出す方法や、抹茶、煎茶など、さまざまな楽しみ方がされ、同時に茶器の原型といわれるものが多数考案された。
宋の時代に入って、茶の新しい製法が次々に考案され、茶の種類が爆発的に増えた。この時代、闘茶などの遊びも考案された。茶が主要な輸出品となったのもこの頃からだ。
清の時代、茶器が現在使われている茶器とほぼ同じ物になった。
もともと中国には、日本のようなお点前はなく、茶芸は台湾で大手茶問屋の社員だった蔡榮章(現「陸羽茶学研究所所長」)が70年代後半ごろ日本の茶道を参考に創始したものである。
大手茶問屋の茶葉消費促進策で、この問屋が設立した「陸羽茶芸中心」がお茶の知識やいれ方の技能を問う「泡茶師」の資格試験も実施している。それが、経済成長下の中国大陸に入り、やがて韓国にも広がっていった。
明代から清代の初めにかけて、福建省の南部で生まれたとされるウーロン茶の飲み方「工夫茶」が原型になってはいるものの、当時の記録にお茶の入れ方、動作については触れられておらず、もっと手順が簡単だったと見られる。
現在の茶芸の茶巾をたたむという所作は、日本の茶道の影響の表れであるといえる。基本的には「日本の茶文化とは、客をもてなす事。中国は美味しいお茶を楽しむ事」と認識される。 (朝日新聞・夕刊3面 2006年12月18日より一部抜粋)(2007年1月6日朝日新聞web版記事マイタウン静岡より追記)